親族、健康、お金、全てが欠けると生きるのは難しいお話

彼女が自殺してしまった人による、行き場のない思いのアウトプット

悩みに悩むこととそれぞれのケジメ

前回の記事の内容については、該当者から了承を得られました。

ご理解ありがとうございました。

でもって、次は別の人の話。

 

こちらは地元で古くからの付き合いの連中なのですが、

その中の一人に役者をやっていた人がおり、

その師匠に充たる人が公演期間中に急に失踪した、という話を聞きました。

その人もやはり悩みに悩んで、挙句一時は薬を服用したせいか、

身体がふっくらしていた時期もありました。

 

そして、20年経って、失踪者界隈に詳しい人物の著書により、知ったとのこと。

20年経ってようやく少し平穏を取り戻した、と話してくれました。

それだけの年月を費やしているのです。

 

その場には居なかったですが、同じくメンバーの一人が役者をやっており、

ある公演ではヒロインまで勤めた方が、自殺を図ったという話も、

以前聞かされたのを思い出しました。

オレがもっと何か出来たかも知れないなぁ、と零したものです。

 

残された人たちはやはり考えてしまいます。

選択肢さえ間違わなければ救えたかもと思わざるを得ないのです。

運命とはありますが、それでもこの結果が正解だとは思いたくはありません。

 

あと、私の趣味でフットサルを嗜んでいるのですが、

そのフットサル仲間と飲んだときも、

叔父の再婚相手が餓死を選んだ、という話を聞きました。

その叔父はせめてもの供養と思ったのか、念仏を暗唱して、

唱えさせてもらったようです。

 

探せば、、、もとい特に探しはしなかったのですが、

居る所には似たような方も居たものです。

 

それでも私は、彼女の最期にすら手を合わすこともできない状況であり、

前回も書きましたが、葬儀という最期に立ち会える機会があるだけでも羨ましい限りです。

 

これまた知人の(元)葬儀屋の人は云う。

お葬式とは故人のためのものではなく、残された人のためものだと。

 

私にとってのケジメはまだ見つけられておりません。

ほんの少しプロファイリングできた程度です。

とはいえ、幾人か零したことにより、自分では見えなかった角度が出てきました。

 

事故でなくした方が、法律改正に勤しんだり、現場のボランティアに勤しむのも、

そういったケジメと忘れないためにルールを敷いているのだと思います。

 

未だに思います。

なぁ、どんな気持ちでこんな事をしたのか。

何がトリガーとなったのか。

 

この時点ではまだ泣けていません。

次回は少し泣けた話でも触れようかと思います。

 

余談ですが、そんな私の彼女の写真見た人の割合は、ざっと1/3です。

こればかりは性格かも知れません。

カワイイ仰ってくれました。

ほら彼女、カワイイって。